2月 242013
 

DVDでは持っていて、Blu-rayが出たので買いかえていたんですが、今夜見ました。

たまたま持っていた、当時の雑誌と記念撮影。
「I wanna fly like a kite」(カイトみたいに飛びたい)→鉄塔から飛び降りの津田詩織(蒼井優)っていうシーンが映画にあるんですが、
I wanna fly→I Can Fly
Switchの2001年11月号が、表紙が窪塚さん(転落事故は2004年6月6日)で、中身にリリィ・シュシュのすべての記事。奇跡のコラボ。

映画自体、当時(2001年。20歳?)と感じ方違うなぁ、と。
この作品は、インターネットのホームページのBBSで小説を作って、映画にしたという当時は異色だったと思う。(本も、CD-ROMも所有。ついでに、リリィ・シュシュのCD(シングル含む)とサントラも持ってます)
そのくらい、惚れ込んだ作品なんだけど、歳を取ったせいか、あんま来ない。

「Reload!」で、どんどんBBSの書き込みが「フレーズ」で連打されていくところがあって、そのフラッシュ感(サブリミナル感)とか、当時は違和感(BBSと全然違う表現過ぎるなぁ)ってのがあったけど、今のTwitter(2006年6月)と感覚的に近く、違和感がなくなっている。これは不思議。表現として、最適な方向へ世の中が合っていったということか。これは、不思議。というか、映像表現という方法のクリエイターの発想っていうのは、一つのヒントになりうるのではないか、という仮説。

ストーリーは、当時、リアリティを感じていた方です。(この映画は「いじめ」よりもっと具体的にひどいことしてる)
「事実は小説よりも奇なり」ということで、「そういう現実」がない世界に生きていた人には、感じられないリアリティ。

まず、この映画の評価はここで分かれる。
で、「リアリティ」を感じていた理由は、やっぱり、映画の空間を占めている「閉塞感」なんだろうなぁ、と。

今、改めて観ると、ストーリーもあってないようなもんだし、役者はほぼみんなデビューしたてでえらいことになってるし、「当時はリアリティ」を感じていた、オンラインとオフラインで、「オフ会」っつーものも、「もうないんじゃね?」っていうのもあると思う。
あの時代は、オフ会なんて結構やってて、「ああ、あなたが○○さん」っていう感じで。

「想像していたのと違う」

「やっぱり、あの書き込みは○○だったからか(苦笑)」

とか。
この映画の重要な要素として、BBSとオンラインとオフラインっていうのがあって、SNSに変わった現代では直感的に理解しがたい。

しかし、繰り返しますが、映像表現が、Twitterの感覚に近いっていうのは、どういうことなんだろう、ということ。

映画の評価自体、以前は10点満点で8点くらい(そりゃ、関連商品すべて持ってます)でしたが、今は「6点」くらいかなぁ。
これは、肌感覚で、10代のリアリティが理解できなくなってきたからと、自分は考えています。

「夏休みのある小学校時代に帰りたい」と歌っても「いつヤラレルかわからない中学校時代に戻りたくない」なんでしょう。人は忘れる。

・証拠に雑誌内記事
岩井俊二

・雑誌内、自殺の記事
Switch

「大人はわかってくれない」と言った10代。
さあ、今、大人になって10代がわかるかな。と、思った映画。自分の中の時間軸で比較するからこそわかることもあるのかな。

以下、最近(2011年)の記事。

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